歴史古橋

放生橋(ほうじょうきょう)


放生橋(ほうじょうきょう)放生橋(ほうじょうきょう)放生橋(ほうじょうきょう)
放生橋は朱家角古鎮の東井街中ほどに位置し、漕港河を跨ぐ五連の石アーチ橋です。橋の北側はかつて江蘇省昆山県の井亭港鎮であり、かつてこの橋は上海と蘇州を結ぶ重要な交通・経済ルートでした。中華人民共和国建国後、青浦県に編入されました。1959年に県級文物保護単位に指定され、1987年には市級文物保護単位に昇格しました。

放生橋は上海で最長・最大・最も高い五連アーチ石橋として知られ、「滬上第一橋(上海第一の橋)」と称されます。明代・隆慶5年(1571年)に、地元の名刹「慈門寺」の僧侶・性潮によって募金され建設されました。築造から450年以上の歴史を誇ります。

水深があり流れも速い河に、四百年以上前にこのような大規模橋を建設するのは困難を極めました。橋には極薄で柔軟な橋脚を採用し、主アーチの荷重を減らし材料も節約されています。鉱山資源に乏しく、石材を外地から運ぶ必要があった朱家角では、非常に合理的な設計でした。主アーチには「縦方向・分節・並列積み」工法を採用し、石材同士の結合を強化、薄い橋脚でも安定性を確保しました。

橋の全長は72メートル、高さ7.4メートル、幅5メートル。中央アーチの径間は13メートル、隣接するアーチは8.8メートル、端のアーチは6.2メートルです。橋両端の「龍門石」には八匹の龍が雲間を舞い珠を奪い合う彫刻が施され、橋の親柱には迎客の石獅子が四体、口を開けて可愛らしい表情で立っています。

橋全体の構造は優雅で壮麗、材料を節約しながらも堅牢で、洪水対策にも優れ、「井の上にかかる虹」と呼ばれています。古詩にも詠まれています:
「長橋彩虹を架け、往来市場を成す。
日中は取引が盛んで、夕陽は人影を乱す。」

橋柱には対聯が刻まれています:
「帆影は帰鴻を追い、玉山の雲一片を閉じ込める。
潮音は馬の走るように喧しく、珠浦の波千重。」

橋の東側には嘉慶年間の蘇州の書画家・潘奕隽による《重建放生橋記》など三つの碑が納められた碑亭があります。

橋を渡れば、そこは朱家角一番の繁華街「東大街」です。明清以降、ここには老舗が並び、八大業種、二十余りの行会が隆盛を極め、経済と文化の両面で朱家角を江南の先進地へと押し上げました。狭い「一線天」の路地を抜け、人波の熱気と歴史の重みをぜひ体感してください。


[歴史古橋]
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