皆さま、ようこそ朱家角へ!清代・青浦県の教諭であった王希伊は、『平安橋夜泊月に対す』という詩を詠みました。
「赤い欄干と碧い槛は入り江の流れを枕とし、
残月は鉤のごとく、旅人の舟を照らす。
古寺の疎らな鐘の音は深い院内に漏れ、
南北に去る人々の愁いを送る。」
この詩にある*「赤い欄干の古橋」*が、まさに今皆さまが目にしている平安橋です。ここ平安橋のほとりでは、かつて円津禅院から響く夜半の鐘の音が聞こえ、唐代の詩人・張継が寒山寺で詠んだ名句を思い起こさせます。
平安橋は朱家角鎮の大新街北部に位置し、童天和薬局の北西にあり、東西方向に朱家角市河の瑚瑎港を跨いでいます。対岸は漕河街です。地元では「戚家橋」とも呼ばれており、そこには興味深い由来があります。
平安橋は三連の平梁橋で、花崗岩製です。橋の長さは24メートル、幅は1.8メートル。南側の橋堍には12段、北側には14段の石段があります。橋台は大きな石で組まれ、橋面は長い石板で舗装されています。
橋全体は煉瓦・石・木の混合構造です。かつてこの辺りは「平安里」と呼ばれていたため、平安橋という名が付けられました。橋身と橋脚は花崗岩で作られ、側面の欄干は青煉瓦、中央の手すりは装飾のない木の丸太2本で、素朴な趣があります。
では、なぜ「戚家橋」とも呼ばれるのでしょうか?伝説によると、この橋は明代の抗倭名将・戚継光が軍を率いて通過した際に築かれたもので、現地の材料を使って短期間で建てられたため、煉瓦・木・石の混合構造になったと言われています。そのため橋石は平坦ではなく、渡ると石板が*「コツコツ」*と独特の音を立てます。しかし橋は今も頑丈で無傷のまま残っており、人々は戚家軍の民への貢献と抗倭の功績を記念して「戚家橋」と呼んでいます。
現在、橋は完全な形で保存されており、2017年2月に青浦区文物保護点に指定されました。橋に立てば、両岸に広がる水郷の街並みを楽しむことができます。
朱家角には、「良相になれなければ、良医たれ」という言葉があります。この町では多くの学子が科挙を通じて官職に就き、また一部は医術を学び、病を癒しました。明清時代、ここは漢方薬材の交易拠点となり、多くの薬店が軒を連ねました。次は、そんな百年薬局のひとつを訪ね、その歴史を探ってみましょう。