特色観光地

課植園(かしょくえん)


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課植園(西井街109-113号)

皆さま、ようこそ朱家角古鎮の珠玉、「課植園」へお越しくださいました。本日はご案内を担当いたします。これよりご一緒に、東洋と西洋、過去と現在が融合した百年の歴史をもつ園林へと歩みを進め、「耕読伝家(こうどくでんか)」という中国伝統の家訓精神とその文化の魅力を感じてまいりましょう。

現在私たちが立っているのは、上海市青浦区・朱家角鎮の西井街の北端にあたる場所です。課植園は、この古鎮で最も保存状態が良く、最大規模の荘園式私家園林であり、1912年(中華民国元年)に建設が始まり、15年の歳月をかけて1927年に完成しました。全体面積は96ムー(約6.4ヘクタール)、当時の建設費用は銀30万両以上。これは当時の物価で言えば、小さな町の数百世帯が一年間生活できる莫大な額でした。

園主は馬維騏(ば いき)という人物で、号は文卿。朱家角の商人として成功を収めた一方で、地域社会への貢献にも尽力した善良な郷紳でした。小学校の建設、橋の修復、義田による貧困支援など、公益活動にも熱心だったため、課植園は別名「馬家花園」とも呼ばれています。

では「課植(かしょく)」という名前の由来は何でしょうか?「課」は勉学を、「植」は農耕を意味し、「学びを怠らず、耕作を忘れず」という古来の家訓を表しています。つまり「耕読伝家」、読書により道理を学び、農作業で生計を立てる。自己修養から家族の安泰、さらには国家への貢献にまでつながる精神が、この二文字に込められているのです。

園内は「課園」と「植園」の二つに分かれています。「課園」は住居および書斎としての機能を持ち、家族の生活や来客の応接、勉学の場でもありました。轎亭、会客廳、後花廳、迎貴廳と四つのホールが中軸線に沿って並び、それぞれの間には「天井(中庭)」が設けられており、「四廳三井」という典型的な江南民居の構造となっています。

続いて訪れるのは「植園」です。こちらはかつて園地の三分の二を占めていた農耕区域で、現在は一部しか残っていませんが、果樹園や稲作、菜園が広がっていた当時の田園風景を今も感じ取ることができます。「稻香村(とうこうそん)」と名付けられた水田、上海で評判だった「青角薄稻米」など、まさに「農業試験場」のような役割も果たしていました。

さらに課植園には二つのユニークな特色があります。一つ目は「中西合璧」の建築様式です。園主の馬文卿は貿易商として西洋文化にも触れており、蔵書楼や迎貴廳などの中国建築に、洋風のタイル、コンクリート、アーチ状の門などの西洋要素が巧みに融合されています。二つ目は、上海の豫園や蘇州の獅子林などの江南名園を手本として、九曲橋や倒獅亭などを模した点です。中国伝統の庭園美と西洋建築の精緻さが共存する空間は、全国的にも非常に珍しいと言えるでしょう。

最後に、園を出る際には、ぜひ「課植」という二文字の深い意味を思い返してください。——学びを絶やさず、労働を厭わない。この園は、ただの観光地ではなく、家族の精神と文化を継承する記念碑であり、民国時代における中国伝統文化の見事な結晶でもあるのです。


[特色観光地]
全華水彩畵館

朱家角