禁勒碑(きんろくひ)
朱家角古鎮の西井街77号の門外、南側の壁には、一基の古い石碑が埋め込まれています。この石碑の正式名称は「吹手の強要を禁じ工賃を定める告示碑」といい、通称「永禁勒索碑」、略して「禁勒碑」と呼ばれています。清の同治8年(1869)5月7日に告示されたもので、もともとは朱家角の土地祠に設置されていましたが、後に現在の場所に移されました。
碑文には、同治年間、昆山県南部(錦・生・麗・区などの里)で頻発した社会問題が記されています。搬運夫や吹奏者、砲手が結託し、婚礼や葬儀、祭事の際に料金をつり上げ、住民から不当な金銭を巻き上げていたため、当時の知県・王定安がこの石碑を建立し、警告を発しました。さらに労務費を明確に規定することで、役人たちの腐敗を抑止し、今日でも廉潔文化と清廉な政治風土を育む象徴となっています。
青石で作られた碑は高さ170cm、幅60cmで、碑頭と碑座はありません。碑文は右から左に11列で書かれ、書体は顔真卿(がんしんけい)風の楷書で統一され、注釈として「遵(従う)」などの文字が入っています。外枠には浅浮彫りの雲紋が施され、文字は清らかで整然としています。内容は簡潔かつ厳格で、具体的な料金と金額が細かく記され、婚葬の場での乱収や不当請求を徹底的に取り締まり、民衆の支持を集めました。
王定安(1833–1898)、字は鼎丞(ていしょう)。湖北省東湖の出身で、同治元年(1862)に挙人となりました。曽国藩の推薦で江蘇省昆山県知県を務め、その後も曽国藩の幕僚として20年間仕えました。後に山西按察使や布政使などを歴任し、『曾文正公全集』の編纂も主導しました。